2020.03.26

ネスレにおける令和時代の顧客問題解決法

アフターデジタル時代に進化するマーケティング最前線 Vol.2

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<Brand Owner>
ネスレ日本株式会社 専務執行役員 チーフ・マーケティング・オフィサー 石橋 昌文氏

<Interviewer>
株式会社 日本HP 甲斐 博一

甲斐:「体験創造マーケティング」ブランドオーナーインタビュー企画の第2回となる今回は、ネスレ日本の専務執行役員 チーフ・マーケティング・オフィサー(CMO)の石橋 昌文氏にご登場いただきます。ご存じの通り、ネスレは世界最大の食品・飲料会社で、ネスレ日本はその日本法人です。同社の高い収益性を支えるのが、日本企業とは一線を画すマーケティングに対する考え方とその実行力です。「ネスカフェ アンバサダー」や「キットカット」受験生応援キャンペーンなどの事例を基に、その独自性や優位性を明らかにしていきます。

今年は「ネスカフェ アンバサダー」の強化にフォーカス

甲斐:最初に、CMOとしての石橋さんの役割・ミッションについて伺います。

石橋:弊社の場合、各事業部門がマーケティングの役割を担っています。例えば「ネスカフェ」については飲料事業本部が、事業部としての売上目標や利益目標を立て、それらを達成するためのさまざまなビジネスプランを考え、マーケティング活動全般を行っています。各事業部門がマーケティングの主体としてありながら、われわれファンクションチームがマトリクス構造でビジネスを支えていくという組織構造になっています。
 私が本部長を務めるマーケティング&コミュニケーションズ本部は、メディアプランニングやパッケージデザインの開発、広報、パブリシティー、デジタルマーケティング、マーケティングリサーチ、それから消費者との直接的なコンタクトを担うコールセンターといった各分野の専門家チームを持ち、各事業部のビジネスをサポートする形になっています。

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ネスレ日本株式会社 専務執行役員 チーフ・マーケティング・オフィサー 石橋 昌文氏

甲斐:マーケティング活動においてネスレさんが特に重要視していること、それに基づいて現在、注力している取り組みがありましたら教えてください。

石橋:重要視しているのはもちろん、各ビジネスを成長させることです。飲料事業について言えば、今年は「ネスカフェ アンバサダー」の強化にフォーカスを当てています。
長期的なトレンドとして人口が減少し、飲料・食品の消費自体が減っています。そうした中でここ数年、定年延長の流れや不景気、人材不足なども相まって、共働き家庭が増えています。そうすると、家庭の中でのコーヒーの消費がさらに減っていくわけです。従来型のビジネスは小売店経由で「ネスカフェ」を売るというものです。「ネスカフェ」は家庭内でのシェアはナンバーワンですが、家庭外では低い。では、家庭外のどこでコーヒーが飲まれているかというと、6割ぐらいがオフィスです。そこでオフィスに「ネスカフェ」を流通させる方法があれば、家庭内で減っていく消費をオフィス需要でカバーできるのではないかと考え、2012年以降、「ネスカフェ アンバサダー」というサービスをスタートさせました。現在、約48万オフィスに導入していただいています。

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甲斐:まずはマーケットインサイトからの発想ということですね。非常にユニークなサービスで、私たちも「ネスカフェ アンバサダー」になろうということで、私が管理している当社のショールームにも導入しました。成功の要因は何だったのでしょう。

石橋:競合するのは既存のオフィスコーヒーサービス、社内の自販機、最近はコンビニコーヒーなどがありますが、おいしくて、なおかつリーズナブルな価格となるとなかなか見当たりません。「ネスカフェ ゴールドブレンド バリスタ」のコーヒーマシンがあれば、ボタンを押して1分以内には、おいしいコーヒーを手軽に楽しめます。しかも1杯20~30円程度です。
 実際に「ネスカフェ アンバサダー」を始めてから、これっていいサービスだなと気づかれたお客様はかなりいらっしゃいます。もう一つのメリットは、デジタル化が進んで、隣の人とも会話せずにチャットやメールでやりとりすることが多くなり、コミュニケーションが減っている中で、コーヒーマシンの周りに人が集まってきて、そこで会話が始まったり、新たなコミュニケーションが生まれたりして、社内コミュニティが形成されたことです。これはわれわれもまったく予想していなかったベネフィットでした。
 従来型の家庭内のみをターゲットとしたビジネスだけをやっていては、業績は右肩下がりで推移していくだけです。その落ち込みをカバーするには、「ネスカフェ アンバサダー」をはじめとした、家庭外でのビジネスをつくっていかないといけない。これまでの取り組みで得た気づきや知見を生かして、一層の強化を図っていきます。

甲斐:私自身が「ネスカフェ アンバサダー」をやっていてもう一つ気づいたことがあります。スターバックスのカプセルも提供している点です。これは競合製品では?ととても驚きました。

石橋:そうですね。2019年にスターバックスさんの家庭向け製品のビジネスをネスレが買収し、各国で展開をスタートしました。コーヒーマシン「ネスカフェ ドルチェ グスト」のカプセルでもスターバックス製品を発売したので、「ネスカフェ アンバサダー」でも販売しています。スターバックスさんも少しアプローチは違ったとしても、コーヒー文化を日本により浸透させたいという点では志は同じです。オフィス内でよりおいしいコーヒーが飲まれ、そこからコミュニティが形成され、ビジネスシーンが豊かになりながら市場が成長するということに賛同いただき、協働体制ができたわけです。確かに新しい試みです。

昔はおいしいチョコレートがあれば、それでよかった

甲斐:飲料事業以外で重視している分野はどこですか。

石橋:「キットカット」について、環境への配慮から、2019年9月に外袋を紙パッケージに変えました。対象は主力の大袋タイプ商品で、品質を担保するために、個包装については引き続きプラスチックとなっていますが、外袋を紙に変えたことで、年間約380トンのプラスチック削減を見込んでいます。また、2025年までに100%リサイクル可能、あるいはリユース可能にするというコミットメントを発表しました。今回の「キットカット」のパッケージ変更はその最初のステップです。

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甲斐:素晴らしい宣言ですね。そうした取り組みの背景には、SDGs(持続可能な開発目標)やサステナビリティ(持続可能性)といった、弊社(HP)も含めグローバル企業が地球上でビジネスを継続展開していくために今や必須事項になっていますが、日本企業にはまだまだそういった取り組みが少ないように感じます。ギャップはどこに起因すると思いますか。

石橋:日本企業とのギャップという意味では難しい質問ですが、ネスレはグローバルで最大級の食品・飲料会社です。世界中の投資家やNGO(非政府組織)から真っ先に注目を浴びる企業であることから、他社に先駆けて環境に配慮した形での活動が求められてきた経緯があります。その一方でネスレは、CSV(共通価値の創造)を根幹に置いてビジネスを展開してきたので、SDGsという言葉が出てくる以前から、SDGsの活動をしてきたとも言えます。国連が17の項目をつくり、2030年のゴールを設定していただいたことによって、弊社のこれまでの取り組みがSDGsの流れに合わせる形で世の中に伝えることができるようになったとも考えています。
 なお、ネスレはグローバルで2025年までに包装材料を100%リサイクル可能、あるいはリユース可能にすることを目指していくわけですから、その流れの中で日本でも先述の「キットカット」以外の製品でも、パッケージのプラスチック部分を減らすなどの取り組みを広げています。

甲斐:顧客体験価値に関するテーマに移りたいと思います。ニュースなどを拝見すると、いろいろユニークな体験の場を創造されていますが、最近の事例と、その背景にある考え方を教えてください。

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石橋:2002年までさかのぼりますが、当時、われわれが考えたのは、テレビCMを打っても「キットカット」の売り上げはもう上がらないということでした。認知度は100%近くありますし、チョコレートを食べる人で「キットカット」を食べたことのない人はほとんどいません。そこで検討したのが、もっと深く消費者に入り込んでいく形でのコミュニケーションです。当時まだインターネットが普及していなかったので、別の手法でニュースをつくって、それを口コミで広めることを考えました。ちょうどそのときに、九州の支店長から電話があり、1~2月の受験期に「キットカット」がよく売れていて、スーパーの社長さんがお客様に聞いたところ、子どもが受験で「きっと勝つ」につながるから、「キットカット」を買って渡していることが分かりました。そうして見つけたお客様のインサイトを活用させていただく形で、受験生応援キャンペーンにつながっていきました。

甲斐:いや、すごいですね。20年近く前から消費者インサイトを見つける努力をされている点には感激しました。それから実行力という点では弊社もそうですが、日本のユニークネスを主軸においた取り組みは今でこそ多いですが、当時は苦労されたことを想像します。いまでこそ消費者インサイトの発掘からエンゲージメントを深めていくキャンペーンはだいぶ増えてきたと思いますが、かなり早い試みであることに加え、今でも継続されていることは本当に賞賛に値すると思います。

石橋:21世紀はモノだけで問題を解決できない時代だと思います。それはもう2000年を超えたあたりから始まっていたわけです。昔はおいしいチョコレートがあればそれが問題解決になりましたが、世の中においしいチョコレートが山ほどあふれる中で、それにプラスαの価値を付けようと思ったら、まずは本当に消費者が困っていることは何か、喜ぶこととは何か、「キットカット」の例でいうと実際のお客様がどんな消費のされ方をしているのか、といったインサイト発掘ができないといけないわけですね。また、本当にお客様に喜んでいただくためには、自社だけで完結していては広がりません。実際に受験生応援キャンペーンでは、ホテルや鉄道会社、タクシー会社、ファミリーレストラン、郵便局などと連携しましたが、さまざまな専門性をもった外部のプレーヤーとの共創が不可欠です。

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ブランドオーナーとサプライヤーの関係が変わってきた

甲斐:B2C(Business to consumer)の中でも消費財や食品ビジネスのマーケティングは、マスをターゲットにすることが多いと思います。そうした中で、いち早く今言われるスモールマスに着目されてきた点はとても素晴らしいと思いますが、今後の展開についてはどうお考えですか。

石橋:マスだけではなく、スモールマス、あるいはワン・トゥ・ワンなど、全て重要だと考えています。6年以上前にスタートした試みとして、ソーシャルメディアのリスニングがあります。その後、Twitterなどで弊社の製品・サービスについてつぶやいている人に直接コメントを返すアクティブサポートを2013年に始めました。消費財メーカーとしては割と早かったと思います。お礼のコメントを送ったり、逆に製品へのクレームのようなネガティブなツイートに対しては、お客様相談室にご連絡くださいと誘導したりするなど、リスクヘッジも行っています。
 お客様と直接つながるという意味では、オウンドメディア「ネスレ アミューズ」の会員が現時点で650万人いて、そのうち300万人弱がオプトインしていますから、直接メールを送付して、新しいキャンペーンを告知したり、定期的なコミュニケーションを図ったりしています。ネスレアミューズを見ていただいた方とそうでない方を比べると、見ていただいた方のほうが売り上げも上がっていますから、ここのつながりは大事にしたいと思っています。

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甲斐:オウンドメディアも効果的に使われていてここもまた先進的ですね。ここで顧客情報をとっていれば直接のコミュニケーションが可能ですし、LINEなどのメッセージングとは違いコンテンツを通してエンゲージメントをより深めていけると思います。コンテンツも日本文化に根付いていて狙いがよくわかります。体験創造を重視した活動は、今後どういったポイントで発展していきますか。

石橋:ゴールが見えているわけではないので、目の前の課題を考えていく中で、いろいろな取り組みを行っています。やってみてうまくいったらさらに拡大しますし、駄目ならやめる。そういう意味ではやはりマーケティング施策のPDCAを高速で回していくことが重要だと思います。
「思いついたら、まずはやってみよ」というのを弊社のカルチャーにしようと、2011年から「イノベーションアワード」と呼ばれる社内コンテストを毎年実施しています。これは全社員を対象として、自分の顧客は誰か、そして顧客が抱える問題は何かを考え、問題を解決するためのアイデアと実行した結果を募集するものです。
 一例として、2018年には鉄道会社と組んで、駅構内にある売店のスペースに「ネスカフェ スタンド」を設置し、「ネスカフェ」の販売を行いました。弊社にとっては、リーチが弱い学生さんにブランドを露出し、実際にコーヒーを飲むという体験を提供できたこと、鉄道会社にとっては閉店した売店のスペースが無人ではなく、人がいるということで、双方にとってウィン・ウィンの関係がつくれたと思います。

甲斐:最後にデジタル化やOMO(Online Merges Offline)などの進展に伴い、ブランドオーナーとサプライヤーの関係について、CMOの立場から今後どう変化していくとお考えですか。

石橋:従来のクライアント、広告代理店、制作会社という三者の関係性が変わってきているように思います。われわれも直接、制作会社と話をして物事を進めていくことをかなり前からやっています。
2013年に弊社は日本での創業100周年を迎えましたが、そのときに何か大きなイベントをやりたいと考え、たまたま知り合った映画監督さんたちとショートムービーを作ろうということになり、YouTube上に「ネスレ シアター」を立ち上げました。このときは広告代理店が入らずに、直接、監督さんたちに自分たちの思いを伝えて、ネスレとはこんな会社だということをブリーフィングしました。
 デジタル化の進展、ソーシャルメディアの台頭により、弊社では広告からPRの流れが加速しています。今後、広告代理店に期待することは、従来の業だけではなく、コンサルタントとしての役割です。われわれがやりたいと思っていることにご賛同いただいて、ワンチームでアイデアを出し合いながら、共創を深化させていければと思います。

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株式会社 日本HP 甲斐 博一

<インタビューを終えて>

PL(Profit and Loss)責任を共有しながら生み出す共創型マーケティング。石橋さんのインタビューを終えて私の心に残ったのはこの言葉だ。まず冒頭にて触れたPL責任の共有だが、ネスレはマーケティング組織を独立させず各事業部の中に存在する。グローバルの先進型FMCG(日用消費財)ブランドではよく存在するマーケティングの組織運用形態である。これはマーケティング活動が常にいま存在するビジネスに直接的関係性を持つようにするためであるが、しかしながらここから新しいタイプのマーケティング活動が創出されていくためには、CMOの存在とガバナンス、そして経営側のマーケティングリテラシーが高くなければ実践できず単なる販促部隊に陥ってしまう可能性も否定できない。また、日本企業の多くは営業をサポートする販促型マーケティングや売り上げへのコンバージョンとその効率を重視するが故に、新しいチャレンジはしづらい傾向が強いからなおさらである。つまり経営側が、マーケティングの本質が顧客理解であることと、そこから生まれる活動は変化する顧客をつかまえるための共創型へとシフトしていることに気づいていないことが多いためだ。B2CとB2Bの垣根を壊しながらこれをいち早く実現した「ネスカフェ アンバサダー」、日本の文化に根付く形で発展を遂げている「キットカット」の共創型スタイルがずいぶんと前に生み出され、それをキャンペーン型として存在させるのではなく、商品、サービスと一体となって長く続いていることには驚くばかりだ。
そしてもうひとつの大きなテーマがサステナビリティへのチャレンジである。これも単なるCSRの位置づけではない。製品の包装材を2025年まで100%リサイクル、リユース可能なものにするという宣言はまさに顧客とともに創り出す我々が生きる地球に対する共通価値の創造への宣言である。ネスレ製品を愛用するお客様が地球環境維持へと貢献するというサイクルはまさにお客様とともに創り出す未来であり、マーケティングのみならずネスレの根底にある精神そのものである。
HPとしても、このような取り組みを我々のコンピューティングとプリンティングといったテクノロジーをもって支えていくようにしたい。


【本記事は JBpress が制作しました】