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2019.05.22

NewsPicks Brand Design

【メガトレンド】人生100年時代を支える「アップデータブルな身体」

人生100年時代を支える「アップデータブルな身体」

少子高齢化が進み、人生100年時代が訪れるこれからの時代は、介護や医療、労働人口不足など多くの課題が持ち上がる。それらを解決するためには、AIやロボティクスなど様々なテクノロジーを、どう社会に実装していくかが問われている。

日本HPとNewsPicksによるメガトレンド特集、今回取り上げるのは、ロボティクスなどの技術を取り入れた「身体拡張」というアプローチだ。

昨年末、乙武洋匡氏がロボット義足をつけて歩く姿が公開され、話題になった。障害者スポーツの世界では、義足のアスリートが健常者の世界記録を塗り替えようとしている。義足エンジニアとしてこれらのプロジェクトにかかわるのが、Xiborg代表取締役の遠藤謙氏だ。

義足といえば障害者のためのもの。そんな常識も、将来的には変わるかもしれない。今、障害者の身体機能を補完するものとされている義足の研究が、視力を補う眼鏡のように当たり前になれば、歩けないという障害がなくなる未来だって考えられる。その時代の兆しとなるテクノロジーと、人の意識について話を聞いた。

INTERVIEW

ヒトの身体に寄り添うロボット

── 遠藤さんは、義足の研究を始める前からロボットを研究されていたんですね。

 はい。慶應義塾大学の大学院生時代は、二足歩行ロボットの研究をしていました。2000年にホンダのASIMOが出てきて、生活のなかにああいうロボットが歩いている未来って、やっぱりかっこいいよなと思って。
 今の社会は、人間は歩けるものだという前提でデザインされているものが多いです。だから、階段があったり、段差があったり。バリアフリーといっても、基本的には二足歩行ができないと不便なつくりになっている。その社会で人間の生活に寄り添うロボットを考えるなら、人間と同じように歩くことが欠かせないと考えたんです。
 でも、高校時代の後輩が骨肉腫という病気で脚を切断することになったときに、僕自身が「ロボットを歩かせること」と「人間の歩行」を別問題として捉えていたことに気づきました。
 人間のように歩くロボットを作っていたつもりなのに、友人が歩けるかどうかについては専門外だった。そのことにショックを受けて、もっと人の歩行について学びたくなりました。
 いろいろと調べて行き着いたのが、MITで教鞭をとっていたヒュー・ハー※です。彼の下で研究したいと思い、慶應を辞めてMITで義足の研究を始めました。

※ヒュー・ハー/1982年、登山中の事故で両脚の膝から下を切断し、自身で設計した義足でロッククライミングを続ける。のちにMITやハーバード大学で機械工学や生物物理学の学位を取得し、現在はMITメディアラボ バイオメカトロニクスグループのリーダーを務める。

── ロボットと人の歩き方って、そんなに違うんですか。

 根本的に違いますね。ロボットは上下運動が加わると不安定になるから、胴体と地面との距離を一定に保ち、重心を平行移動させるように歩く手法が一般的です。ロボット研究者は大体、ASIMOの歩き方をマネできます(笑)。
 一方、人間の場合はしなやかな筋肉や腱があるので、上下運動を取り入れる方が効率的です。歩くため、走るための機構を成り立たせている構成物が違うから、最適な動き方が異なるんです。
 二足歩行ロボットとロボット義足では、機構設計やモーター制御などの基礎技術はある程度共通していますが、ロボット独自の動きにするか、人の動き方をベースにするかで作り方が変わります。

── 義足では人の動きをベースにして、筋肉や腱の働きを機械に置き換えるわけですね。

 そうです。ただ、人の体はいろんな動きをするので、目的によっても義足の作り方は変わります。
 たとえば、前に速く走ることが目的であるアスリート向け義足の場合は、外部にエネルギー源は必要ないと割り切って、なるべく軽くしようという設計思想があります。
 人は走るとき、体をバネのように使います。そうすると求められるのは、できるだけ軽く、バネのようにしなる義足なので、カーボンファイバーの複合材が使われています。
 これは基本的に、踏み込んで溜まった力をそのまま返すだけ。走ることに限れば優秀ですが、日常生活には向きません。

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 一方のロボット義足は、人間が脚を使えなくなって日常生活が不便になったときに、脚の機能を代替するテクノロジーです。
 人が歩くときには、一歩につき12~18ジュールという単位の大きなエネルギーを足首だけで使っています。歩行にかかるエネルギーのうち約半分を消費するくらい、足首を動かす筋肉が働いているわけです。
 そうすると、ゼロからエネルギーを放出するような運動になるので、外部にエネルギー源が必要になります。

── 人体の場合、そのエネルギーは食物から得ているんですよね。

 ええ。人の場合は、食べたものがエネルギーとして体のいたるところに保管されています。それが血液を介し、心臓というポンプによって必要なところに送られるという機構になっています。
 一方の義足は、モーターやギア、電気回路で構成されているため、ほかから電力を補う必要があります。少なくとも今の段階では血中のエネルギーをロボット義足に伝えることはできませんから、バッテリーを載せないといけないんです。

テクノロジーを使いこなす技術

── 乙武洋匡さんが使っていたロボット義足には、現時点で最先端の技術が取り入れられているんですか。

 あれは特別なものではなく、我々が作っている一般的なロボット義足を乙武さんの体に合わせて調整したものです。

img写真提供:乙武洋匡

 ビジネスとしての合理性を考えると、ある程度量産しなければ成り立ちません。将来的にはもっとカスタマイズしやすくなると思いますが、今のところは共通のプラットフォームを作った後に、ソフトウェアの部分で個人にアジャストする方法が最適です。

── プラットフォームとはハードの部分ですね。どんな機構になっているんでしょうか。

 人間の脚と同じで、膝を曲げ伸ばしするんです。我々は意識せずに歩いていますが、地面に足が着いていないときには膝を曲げて前に持ってきます。そして、地面に着くときには膝を固め、膝が折れないように前に進む。これを交互に行うのが、歩行という運動です。
 この運動を行う大腿四頭筋(膝を伸展させる筋肉)やハムストリング(膝を屈曲させる筋肉)などの働きを、モーターに代替させる。モーターは筋肉と違って、ゆっくりと大きな力を出すことが苦手です。
 そういう違いをギアヘッドなどの機構でカバーしながら、なるべく小さく、軽くできるように研究を重ねて今の形になっています。

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── そのハードとしての義足を、ソフトウェアで個人に合わせていく。それはコンピューターの計算によってできるんですか?

 今まさにそれを研究していますが、現時点ではできません。一応、内蔵されているセンサーで関節や地面に対する角度、力の大きさなどを測定し、状況に応じた力を出力できるように計算はしています。
 ただ、そのフィードバックについては、タブレットなどを使って、ユーザー自身が歩きやすいように調整してもらっている段階です。
 というのも、誰がどういう歩き方を好むかというのは本当に様々で、共通の答えが出せないんです。
 安全だけを考えれば、地面から足が離れて次に着くまでに膝を伸ばしきるようなアルゴリズムは作れますし、それで歩けるようにもなります。でも、それでは人は納得しません。なぜかはわからないけれど、人それぞれに歩きやすいと感じるフォームがあるからです。
 生活のなかで義足を意識せず歩けるようになるには、かなり精緻な動きが必要で、まだまだ我々にはデータもテクノロジーも足りていないと感じています。

── 今の義足って、使う側にも慣れやトレーニングが必要ですよね。ゆくゆくは、ロボット義足の方が人に合わせて歩き方を学習するようになるでしょうか。

 ある程度は学習すると思いますが、どこまでいっても人がトレーニングしなくて済むようにはなりません。生身の脚を使うときでも、人は乳児の頃から3~4年かけて歩行練習を行っています。数年かけてやっと得られる歩行運動を、1日や2日で体得できるかというと、やっぱり難しいですよね。
 機械は一度成功したことを再現するのが得意ですが、人間には冗長性があります。一度逆上がりができたとしても、次にできるとは限らない。反復練習をして、統計的にうまいやり方を身につけていくしかないんです。
 これは機械より劣っているということではなく、間違えても修正できる能力や、その能力を他の類似したものに応用する力を備えているということでもあります。

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 これから先、人間はますますテクノロジーがないと生きていけなくなるでしょう。
 それは、新しいテクノロジーを柔軟に使いこなすためのトレーニングが必要になるということです。新しいことを学ぶには大きなコストがかかりますが、それこそ人間がやらなければならないことだと思います。

人は、身体観をアップデートできるか

── これからの日本では高齢化が進みます。そうなると、義足に限らずロボットや機械で身体機能を補完したり、拡張したりすることも起こってきます。

 ええ。そう思います。

── そうなったとき、人間の身体性って変わると思いますか。

 ……難しいですね。身体の拡張ということでいうと、義足やロボットが特別というわけではないとは思います。今の我々が当たり前のように使っているものだって、昔起こったイノベーションの結果ですから、この先、身体が劇的に変わってもまったく不思議ではありません。
 たとえば、眼鏡や自動車、スマホだって、世の中に現れたときには違和感しかなかったと思うんです。それによって何かは変わったと思いますが、定着した今となっては気づかない。ただ、目が悪いことがコンプレックスになるくらいかっこ悪い眼鏡をかけて、でもそれがないと不便で仕方がないという人だっていたんですよね。

── たしかに。僕も眼鏡をかけていますが、これが身体能力を拡張するものだということさえ意識していませんでした。

 眼鏡は当たり前のものとして定着しましたが、義足はまだ社会に定着していません。僕はテクノロジーと同時に、そういった社会的な意識の変革にすごく興味があります。義足ランナーが健常者よりも速く走ったら、その人は障害者として扱われるのか。乙武洋匡さんのような社会的認知度がある方が立って歩くと、世間はどう受け止めるのか。
 そういうことが「頑張って走った、歩いた」という感動のストーリーとして捉えられているうちは、まだダメなんです。義足も眼鏡と同じように「普通でしょ」っていう社会が、この先に来ると思っているので。

── 義足アスリートが人類最速になれば、その意識は変わると思いますか。

 僕は変わると思っていますが、その手前には軋轢が生じるでしょうね。
 僕が競技用義足にかかわり始めたきっかけは、2008年。オスカー・ピストリウスという南アフリカの陸上選手が、オリンピックに出るために裁判を起こしたときです。彼は両脚が義足でしたが、当時は世論の後押しもあり、2012年に史上初の義足アスリートとしてロンドン五輪に出場しました。
 でも、2016年にドイツの走り幅跳びの選手、マルクス・レームが出場しようとしたときには、「カーボン製の義足が跳躍に有利に働いている」というふうに世論が変わりました。これは、人間の先入観が浮き彫りになった事件だったと思います。言葉には出さないけれど、実は我々のほとんどが、健常者よりも障害者を下に見ていたことが明らかになった。
 なぜオスカー・ピストリウスのときは許されたのかというと、テクノロジーが未熟で彼がメダルを取るレベルではなかったから。健常者の世界記録を上回る記録を持っていたレーム選手の場合は「義足を使うなんてズルい」となったわけです。
 そんなふうに社会的な先入観が浮き彫りになるようなことが、これからどんどん起こってくると思います。

── それを乗り越えた先でないと、義足は眼鏡のように定着しない?

 義足に限らず、人の多様性が認められないんじゃないかなって思いますね。
 僕が考える身体性は、多様性という言葉に集約されるんです。身体はもともと多様なものですし、いろんなテクノロジーが身体の機能を代替できるようになれば、速く走りたい人は速い脚を着けるし、特に不便がなければそのままの脚を使うでしょう。
 いろいろ身体を改造してみたいという人もいれば、生身のままで生きたい人もいる。VRがあれば身体は要らないという人だっているかもしれません。その多様性こそが、人間がこれまで生き延びてきた強みだと思います。
 俯瞰すれば時代ごとのトレンドがあるでしょうし、ときにはバランスが大きく偏るかもしれません。でも、たとえバランスが崩れたとしても、本当に必要なものには希少価値が出て、そこにお金が投資され、生き残る。本当に要らないものなら淘汰される。その繰り返しで今の社会ができています。

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 なぜ今、人間が同じ価値観を持ち、同じものを使わなきゃいけないかというと、大量生産、大量消費の時代における資本主義の原理──つまり、人間の社会を成り立たせるための理にかなっていて、さらに、人間が他の人と同じであることに安心感を覚えるような総意誤認効果(自分の考え方を他人に投影する傾向)を持っているからです。それが人間の本質だと思います。
 でも、最近はもうちょっと多様化してもいいんじゃないかなっていう風潮がありますよね。大量生産の時代が限界を迎え、個人個人の違いを生み出す社会や、それが経済合理的に成り立つ方法ってなんだろうと考えること。それが、今の流行りだと思うんです。
 僕がやっている「歩行」でいうと、問題は移動できる手段があるか、ないか。テクノロジーで物事をパーソナライズできるようになり、多様性が広げられるなら、あらゆる手段があった方がいい。そのなかから、健康状態や生活スタイル、好みなどに合わせて個人が選ぶ社会が、僕の理想です。
(制作:NewsPicks Brand Design 編集・執筆:宇野浩志 撮影:後藤渉 デザイン:九喜洋介)

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